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仙台とは?/ スタッフィ

[ 376] 仙台市 - Wikipedia
[引用サイト]  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%99%E5%8F%B0%E5%B8%82

この項目では自治体としての仙台について記述しています。その他の仙台については仙台をご覧ください。
仙台市(せんだいし)は、宮城県の中南部に位置する市である。同県の県庁所在地であり、政令指定都市である。東北地方の中心都市であり、「杜の都」としても知られる。
畿内に端を発する海道(後に東海道に再編→浜通り)と山道(後に東山道に再編)が合一し、北を奥羽山脈からの舌状台地・松島丘陵で遮られる仙台平野(狭義)は、交通や軍事面での要地とされ、歴史的に当地の長町-利府活断層沿いに重要な行政組織が置かれてきた。伊達政宗が、伝統的な当地の中心地である長町-利府活断層沿いから内陸に入った河岸段丘上に仙台城下町を建設し、現在の仙台市都心部の基盤となった。明治期以降は、東京都と青森市のほぼ中間(双方からともに約350km)に位置する当市に、東北地方を統括する中央省庁や企業の出先機関が集まるようになり、「支店経済都市」となっている。
当市は、全国で11番目の政令指定都市であり、産業は第三次産業の占める割合が高く、常住人口は約103万人、昼間人口は約115万人で、東北地方最大の人口を有する。
広瀬川や青葉山などの自然が都心にあり、また街路樹などの緑が多いことから、「杜の都」との異名をもつ。市は「学都仙台」「楽都仙台」などのキャッチコピーも用いている。中国では、魯迅が留学した都市として著名。
都市計画はニューアーバニズムやコンパクトシティの好例とされるが、仙台都市圏では人口・物販・職場の郊外化も進んでいる。他方、隣県に及ぶ仙台経済圏を形成している。
市域は、東を太平洋(仙台湾)、北を松島丘陵、西を奥羽山脈、南を名取川と境界し、宮城県を帯状に横断する。海岸から長町-利府線断層帯までが地質的には新しい沖積平野、その西が沖積平野より少し古い堆積岩類の台地であり、奥羽山脈の稜線近くは新生代に噴出した火山岩で出来ている。船形山、大東岳、神室岳などはいずれも50万年から150万年前に噴火した火山である。
仙台市は奥羽山脈を挟んで山形県山形市と接している。都道府県庁所在地同士が隣接する例には、他に京都市と大津市、福岡市と佐賀市がある。
市街地は太平洋に開けた平野部に位置し、気候区分は太平洋側気候三陸型気候区に分類される。冬は東北地方としては温暖で、真冬日は稀である。東北地方の県庁所在地の中で最も降雪量が少なく、積雪が一週間以上残存することは少ない。夏は太平洋からの海風の影響で気温はあまり上昇せず、夏日にはなるが真夏日・熱帯夜が少ない。梅雨から初夏、秋分前後には、北東からの冷たい海風により、曇りがちとなって冷え込むことがある。
大学や各種専門学校が多く(→「学都仙台」)、若年者人口の割合が大きかったが近時加速的に割合が減少しており、65歳以上の人口が加速的に割合を増やしている。公務員や従業員の転勤とも併せて、年度末には約2万人が流出し、年度始めにほぼ同数が流入する。近年は、3月・4月に差し引き約6000人総人口が減少し、5月と6月に回復する。同様に、第2四半期末から第3四半期始めの9月・10月にも人口が減少し、11月に回復する。
宮城県は比較的面積が小さく、自然障壁の少ない仙台平野に県民の大半が居住するため、その中心である仙台市への一極集中がみられる。しかしながら近年では以前のような人口の社会増(転入超過)はなくなり、人口の増加は自然増に依存している。近年の人口増加は、数千人/年程度である。隣接する富谷町・利府町・名取市などでの宅地開発も、転出増の背景となっている。平成16年度は社会動態が減少(転出超過)に転じ(転出先のトップは東京都)、少子化傾向とあいまって、数年後から加速的に人口減少が起こるとみられている。
高度経済成長期までの都市軸は、旧奥州街道を踏襲した、仙台から南に向かう国道4号沿いと、仙台から北東の多賀城・塩竈・松島に向かう国道45号沿いにあり、鉄道も並走している。1970年代初頭には、この都市軸沿いの松島町から岩沼市にかけて、仙台市を中心に合併して政令指定都市となることを目指したが失敗に終わった。この合併・政令市化が失敗した要因は、当時の仙台市が革新市政だったのを周辺市町の保守系首長が嫌ったためといわれ、すべての調整が済み合併調印の直前まで進んでいたのにもかかわらず合併調印の前日に多賀城市長が突如合併を批判、合併から離脱して仙塩合併は一夜にして瓦解した。結果として合併すれば政令指定都市の移行が約束され、発展が約束されたのにもかかわらず合併が行えなかった。結果として政令指定都市への移行が著しく遅れ、発展が著しく遅れる結果となった。
その後、人口増を背景に、市の北部から南西部にかけての丘陵地に新興住宅地が都心を囲むように弧状に造られた。これらの住宅地と中心部とを繋ぐ幹線道路である旧国道4号沿い(都心から北向き部分)や国道286号沿いが新たに都市軸に加わった。この新都市軸の北の中心である旧泉市と、仙台の西に隣接する旧宮城町・旧秋保町を編入し、1989年に政令指定都市となる。この南北の新都市軸には、仙台市地下鉄南北線(1987年開業)が鉄道インフラとして加わり、計画都市である北の泉中央(泉区)・南の長町南(太白区)では副都心化が進み、大型商業施設やマンションが林立している(旧奥州街道の七北田宿の人口密集地区西隣に泉中央(泉中央駅)、長町宿→JR長町駅駅前の人口密集地区西隣に長町南(長町南駅)が建設された。JR南仙台駅前の旧・中田宿は現在再開発中)。
また、北西部の丘陵地を弧状に貫く仙台北環状線(北環)、仙台中心部から西にトンネルで旧宮城町方面に向かう仙台西道路の完成により、仙台から西向きの都市軸も出来つつある。但し、この西向きの都市軸は、仙台西道路が自動車専用道路で旧宮城町地区に到るまで出入口がないため、都市としての連続性が断たれ、他の都市軸と比べ背景人口が少ないという特色を持っている。また、都市軸の中心駅の愛子駅や陸前落合駅の駅前は、ほかの都市軸の中心駅よりも遥かに遅くに開発されたため、他の副都心ほどは発展していない。一方で、この軸上には東北自動車道の仙台宮城インターチェンジがあることから広域産業が進出し、アウトレットモールや、小児専門病院である宮城県立こども病院、その他の実業系高等教育機関などが立地し、人口も増加している。
仙台の街は、仙台駅、および東北新幹線・東北本線によって大きく東西に分けられている。仙台駅の西口側は、江戸時代からの城下町・仙台の中心部があったところで、現在に至るまで中心部であり続けているが、南は広瀬川、西は青葉山、北は北山-台原の丘陵地、東は東北新幹線と、四方が囲まれており、都心部の拡大が容易ではない。そのため、バブル期に、仙台の地元企業の経済力を超えて地価暴騰が起きる懸念があったが、バブル期以前から開発されていた地下鉄・南北線と、南北線上の泉中央(泉区)および長町(太白区)の存在により、地価上昇圧力が泉中央や長町への都市機能の分散を推進し、暴騰は回避された。反面、デフレ期に入ると、都市規模に対して疎になった都心の地価下落が止まらず、担保価値が減少した土地上の低層オフィスビルや低層住宅が、高層マンション等に取って代わられ、住民の都心回帰を助長している。
一方、仙台駅の東口側は、古くからの町並みが残る地区となっていた。特に南東側の平野部(若林区)は下町の趣があり、江戸時代から続く地名が残る。この下町地域の東側に隣接していた水田地帯には、1960年代に仙台バイパスが造られ、同時に卸売り業者・流通業者・車関係などの事業所、および印刷業の工業団地などの広大な流通・工業団地が造られた。この地域(卸町・六丁の目・扇町など)は、業務地・工業用地の指定のみで住宅地の指定がないため、ほとんど人が住んでいない。また、周囲の水田も国の農政、および、仙台のグリーンベルトの構想のために農地指定が解除されなかったため、仙台駅・東口側の住宅地は、東北本線と卸町に挟まれた極端に狭い地域に限定されてしまい、背景人口が増加せず、東口の商業集積を阻害してきた。東北本線をまたいで西口に到る幹線道路も、東口に広大に存在する卸町を迂回した経路(卸町の北側の国道45号と南側の新寺小路)のみで、卸町によって南北の街も分断された状態になっていた。
90年代に入り、卸しを通さない「中抜き流通」が主流になると、卸町の存在意義が薄れ、規制を解除して住宅地へ転用する動きが始まった。また、仙石線の地下化に伴って区画整理・再開発が活発になって、東口は街の形を大きく変貌させている。東口の駅前から延びる宮城野通り完成後は、通り沿いに仙台のIT企業が集中し始め、楽天イーグルスが宮城球場を本拠地にするに到って更に開発に弾みがついている。その一方で、区画整理事業が終わる数年後には、旧仙石線線路沿いの土地にマンションが大量に供給され、マンション価格の下落、それに伴う郊外住宅地の地価下落が懸念されている。
仙台バイパスとその付帯施設である流通・工業団地の周辺および東側は、広大な水田地帯となっている。農地指定の解除は、仙石線沿いと建設中の地下鉄・東西線沿い、および幹線道路沿いのみとなっている。近年、グリーンベルトをまたぐ部分(仙石線では苦竹駅〜福田町駅の間、東北本線では東仙台駅〜岩切駅の間)の一部農地指定解除が行われ、仙石線に小鶴新田駅が設置されて住宅地化が始まっている。しかし、なおも岩切から利府町にかけてと、福田町から塩竈市にかけての市街地が、都心部からみて「飛び地」のようになっており、グリーンベルト維持か、市街地形成をするか、市の方針は必ずしも明確ではない。なお、福田町から塩竈市にかけての沿岸部は、仙台港を中心に工業地区となっている。農地指定と工業地指定、および松島丘陵に囲まれたこの「飛び地」地区では、近年、工業・流通地指定を解除して、商業施設の誘致と開発が計画されている。ただし、工業地(空き地)の所有者である宮城県の方針が出るまで時間がかかっている間に、隣の利府町側で先に農地指定を解除したため、この「飛び地」地区の商業中心は、利府のロードサイドショップの方に移っている。
都市としての仙台市は、伊達家62万石の城下町から発展したため、その名残りで都心部の道路は碁盤の目状になっているが、広瀬川の河岸段丘上に立地している点や、戦災復興事業において広幅員の道路を縦横に通したことにより、完全な碁盤の目とはいかずやや変則的である。伊達政宗の都市計画は、後に仙台をして 「杜の都」 と呼ばしめたが、戦前までの「杜」は、都市の近代化のために失われた部分も多い。しかし、市当局や市民の努力により、都心部に限らず、多くの道路に街路樹が植えられ緑化が進んだ。また、都心を取り囲む丘陵地や水田などの開発規制を行い、同心円状に、都心・グリーンベルト・住宅地という大ロンドン計画を模した都市計画を作成した。
現在、東北大学病院の東端に沿って南北に走る木町通りの拡幅作業がなされているが、この道は、北向きに輪王寺を地下トンネル(北山トンネル・仮称)で通過し、桜ヶ丘・泉パークタウンを貫いて大和町へと至る宮城県道264号大衡仙台線(都市計画道路北四番丁大衡線)である。この道路は、北西部の住宅地と中心部とを結ぶ幹線道路という側面の他に、この道沿いに存在する東北大学病院・東北大学医学部・フィンランド健康福祉センター・宮城学院大学・宮城大学・宮城県図書館・泉パークタウン内の数々の研究施設、そして、仙台北部中核工業団地を結んで「智の回廊」として機能することも期待されており、「学都仙台」の戦略的道路となっている。また、東北大学病院の新東病棟1階に新たに設置される高度救命救急センターへの搬送路となり、北西部の命綱としても機能する予定である。なお、この道路と東北自動車道が交差する付近に泉PAがあるが、そこにETC専用出入口であるスマートICが設置された。
中世、現在の仙台の地は国分氏の支配下にあった。国分氏は現在の多賀城市や仙台市岩切などを拠点とする留守氏と激しく対立をしていた。しかし、戦国時代に入ると、両氏とも戦国大名として台頭してきた伊達氏からたびたび養子を迎えて相手方より優位に立とうなどの努力をしたが、次第に伊達氏の隷属化に組み込まれていく。伊達政宗の叔父である国分盛重が政宗の下から逐電すると、国分氏の領地であった現仙台は政宗の直轄領に組み込まれる。なお、国分氏が城主の時代の城下町の系譜を引くのが現代の国分町である。
七北田村の沼田姓を名乗った検断新三郎は先祖を「備前」と言った。葛西氏の一族で同氏の没落後、慶長年中・北根村八乙女に来往した。伊達政宗は葛西大崎の遺臣で土着した者を多く村の指導者に任用したが、備前もその一人であった。市名坂の「御霊明神社」は備前が1619年(元和5年)、同地に勧請したものと伝えられている。同家は藩主・綱村、吉村の領内巡行の時寓所を務め「品替え百姓」となった。
沼田家も新道が出来るまでは北根(市名坂高玉)に住んでいた。1623年(元和9年)に七北田町屋敷に移り住んで肝入り(村役人)と検断を兼務した古い家柄である。品替御百姓として検断新三郎の高祖父・重兵衛とあり、後の沼田家である。
開国前の江戸時代の都市には、突出した大都市の三都(江戸・大坂・京)の他、大藩の城下町(金沢・名古屋・鹿児島・仙台・岡山・熊本・広島・徳島)や重要港町(堺・長崎)があり、仙台は、日本で十指に入る都会として賑わった。ただし、その人口は4〜7万人程度(時期や資料による)で、東北地方の他の城下町と比べて極端に突出した都会ではなかった。また、藩のたががあったため、東北地方の中心都市としての機能はなかった(城下町の人口は、大体1万石あたり1000人として、石高を乗じたものと似た値になる)。
明治維新時、戊辰戦争において、仙台藩は奥羽越列藩同盟の盟主となって会津藩(幕府)側についたが、敗戦により石高を半分以下に減らされ、困窮した多数の家臣団を蝦夷地(北海道)に集団移住させる事態になった。これにより大量の知識階級(武士階級)が流出し、経済の基盤だった版図を失ったため、城下町仙台の経済は混乱した。
1871年の廃藩置県において、仙台藩は仙台県、角田県、登米県、胆沢県の4県に分割され、現在の仙台都市圏と似た範囲で仙台県が置かれた。その後何度か境界変更を繰り返し、現在の規模になった1872年に宮城県と改称して、同時に仙台区が置かれた。当時の仙台区は、現在の中心部ほどの広さであった。
仙台は、明治政府による中央集権体制において、東北地方支配の拠点とされ、国の機関が次々とつくられていった。
1887年に日本鉄道(今の東北本線)が塩竈まで開通し、仙台駅が置かれた。鉄道が開業したことにより、仙台から東京(以前の江戸)まで数日かかったものが、わずか半日程度で済むようになった。また、明治期以降、高等教育機関が設置されていき、1907年には東北帝国大学が創立し、国を支える人材を輩出した。
江戸時代の初期、幕府との戦争に備えて、伊達政宗は仙台に城や要害を多数築いていったが、それらは明治政府に全て接収されて近代軍事施設となっていった。仙台城二の丸には陸軍第二師団司令部と歩兵第三旅団司令部、現・仙台国際センターの土地には工兵第二連隊司令部、現・榴ヶ岡公園には歩兵第四連隊司令部が置かれたのを始め、輜重兵第二連隊(現・亀岡住宅)、騎兵第二連隊(現東華中学校)の他、練兵場(仙台城三の丸、および宮城野原練兵場(現宮城野原公園総合運動場および宮城野貨物駅ヤード))、飛行場(現国立仙台医療センター)、射撃場(旧警察学校〜現台原小学校)、工兵作業場(現東北大学青葉山キャンパス)、偕行社(現西公園)、招聘社(仙台城本丸。現宮城縣護國神社)が置かれた。
このように仙台は、国の機関、鉄道、大学、軍が置かれ、そして県庁所在地となった事で人が集まるようになり、工業がない消費文化の中心地となった。そのため、中心商業地の一番町が勃興し、藩内制限経済から広域資本主義経済へ移行していった。
1889年には市制が施行され、それまでの仙台区はそのまま仙台市に移行した。1889年の統計では、国際貿易都市として勃興して来た神戸市や横浜市などに抜かれながらも、仙台市は人口90,231人を擁する都市となった。この人口規模は、当時の日本の第8位であった。1923年は仙台市として初の合併が行われ、現在の長町、原町、南小泉地区が仙台市になった。これ以降、仙台市は周辺の町や村を吸収していき、面積・人口を増やしていくことになる(→市域の変遷)。1926年には仙台市電が営業を開始し、50年に渡って市民の足として活躍をした。
第二次世界大戦(アジア太平洋戦争)は日本各地に甚大な被害をもたらしたが、仙台には陸軍の軍事施設が多かったため、度々空襲に見舞われた。その中でも最大の被害をもたらしたのは、1945年7月10日の仙台空襲(戦略爆撃)である。B-29爆撃機からの焼夷弾絨毯爆撃により、市内中心部(主に市電環状線内が該当)が炎上し焼失し、死者は1066人にのぼった。また、沢山の家屋や歴史的建造物の他、「杜の都」の象徴であった樹木が失われ、市内は廃墟と化した。
終戦後、仙台にはGHQが進駐し、仙台にあった陸軍は解体され、軍事施設の跡地は主に公園になった。また、東二番丁通り、広瀬通り、青葉通り、定禅寺通りなどの広幅員の道路を縦横に通し、近代都市としての基盤が造られた。これらの大通りには、「杜の都」の復興を願って多数の樹木が植えられた。これらの樹木は、後に大木に成長して「杜の都」の象徴となる並木道へとなっていく。
トラック流通の興隆に応じて1966年に仙台バイパスが供用開始され、同時に広大な卸し・流通団地が造られた。1975年には東北自動車道が開通した。これでトラック流通・卸売りにおける東北地方の中心地の一つとなった。これ以降、東北地方の経済における中心地としての歩みを始める。高度経済成長(第三次産業型)の影響もあって1967年には人口が50万人を突破し、仙台市は活気付いてくるが、1976年には、交通渋滞の悪化に伴い、50年に渡って市民の足として活躍した仙台市電が廃止された。
1978年6月12日には宮城県沖地震が発生する。17時14分44秒にマグニチュード7.4、最大震度5の非常に大きな地震であり、死者28名を出した。この地震は都市を直撃した地震災害の典型とされ、この地震により、建築基準法が改正され、以降の建物は改正に基づく耐震強化などが行われた。阪神・淡路大震災が起こるまでは現代の日本で最も被害を受けた地震であった。
1980年に東北自動車道が浦和ICまで、1982年には東北新幹線が大宮駅〜盛岡駅間でそれぞれ開通した。移動の高速化は東北地方全体の日帰り圏を拡大し、仙台市内にある企業の支社や支店の東北地方全体を管轄する機能が増強されることになった。そしてこれは、仙台市が東北地方のビジネスにおける中心地になる要因になった。
仙台市の経済拡大と人口増、およびモータリゼーションの進展により、仙台都市圏は拡大していった。そのため、郊外と仙台市都心部を繋ぐ公共高速交通路が求められ、1981年に仙台市地下鉄南北線が仙台市の富沢駅〜泉市(現在の泉区)の八乙女駅間で工事が開始された。
1987年、NHK大河ドラマ「独眼竜政宗」が放送される。本作の大ヒットにより、今まで経験したことがないほど大量の観光客が仙台に押し寄せ、仙台七夕を初めとした既存の祭りやイベントも過去最高の入り込み客数を記録する。この年は「未来の東北博覧会」も開催され、地下鉄南北線も開業するなど、政令指定都市移行前夜の仙台でバブル景気が始まった。
1988年に泉市と合併し、1989年には第11番目の政令指定都市になったことで経済力を得た仙台市は、バブル景気の後押しもあって、石井市長のリーダーシップで数々の文化施設を建設し、大規模イベントを始めるようになった。1989年には、旧泉市へのバーターとされる「グリーンフェアせんだい」が泉中央副都心の七北田公園で開催された。しかし、1993年、石井市長が本間俊太郎宮城県知事とともにゼネコン汚職事件で逮捕され、仙台のバブルも終焉を迎えた。
1994年にはJリーグ「ブランメル仙台」(後のベガルタ仙台)が誕生し、Jリーグ有数のサポーターと運営ボランティアの活躍で人気球団となった。
2000年前後から始まった東北地方の陸上交通の再編の動きの中、仙台が小売の中心地として東北地方各地から買い物客を引き付けるように変化した。そのような中、隣接する山形県村山地方や福島県北部などと一体となり、仙台経済圏が拡大していった。
2005年には「東北楽天ゴールデンイーグルス」がプロ野球に新規参入し、他のプロ野球チームを持つ都市との間に交流が始まる一方で、東北地方全体からの誘客力も上昇した。さらに、2005年には新しく設立されたプロバスケットボールの「仙台89ERS」を加えて、プロスポーツチームを三つ(「みちのくプロレス」とその女子部とも言える「仙台ガールズプロレスリング」を含めると五つ)持ち、年中、イベントが開かれるようになった。
1994年 - 天皇杯で善戦した東北電力サッカー部が、Jリーグ入りを目指して改組・プロ化。仙台市をホームタウンとするブランメル仙台となる(後にベガルタ仙台に改称)
2008年 - ネーミングライツ契約により県営宮城球場が日本製紙クリネックススタジアム宮城となる(のち日本製紙のみ外しクリネックススタジアム宮城に) 。
現在の仙台都心部を含んだ北側(広瀬川上流域および中流域の北側、七北田川流域など)は宮城郡、南側(広瀬川中流域の南側と名取川流域など)は名取郡に元々所属していた。[1]
行政課題は数多いが、経済・産業の活性化、都市交通の改善(地下鉄東西線構想ほか)などの課題がある。地下鉄東西線構想については、交通アクセス改善への期待はあるものの、高運賃や採算性への不安などから反対運動もある。
また、前々市長時代には大手ゼネコン疑惑で県知事、市長が収賄で相次いで逮捕、首長、自治体のありかたが全国の注目の的となった。またこの事件の契機に全国にさきがけ、仙台市民オンブズマンが誕生した。
藤井黎前市長の任期満了に伴う交代選挙となった2005年の市長選では、仙台市営地下鉄東西線のあり方について焦点となったが、梅原氏は東西線の加速的推進を公約にしていた。他候補が見直し、白紙撤回だったのに対し唯一推進候補であったため争点が明確かつ、票が集約されたために当選したと見られる。
仙台市は、政令指定都市に移行する際、区の名称には方角や緑区といった名称を極力使用しない方針をとった。そのため、以下のような名称を使用している。
現在、仙台市の中心的な機能を持ち、同時に仙台市最大の区である青葉区の旧宮城町(宮城地区)を新たな区として分離する計画がある。この計画に関しては、「青葉区分区問題」を参照すること。
仙台市は、東日本の他の大都市と同様に中国系の数の方が多く(西日本の大都市は韓国系の方が多い)、また、工業が少ないために南米出身の日系人も少ない。但し、隣接する大和町に工業団地があるため、大和町と富谷町には日系人がやや多い。なお、仙台市はロシア人の比率が札幌市に次いで多く、実数も多い。一般に、日本海に面した漁港・貿易港のある北海道や北陸地方各都市などにロシア人が多いが、沿岸漁業用の漁港しかない仙台にロシア人が多いことは特徴的である。宮城県(北上川流域)には、ロシア正教会系のハリストス正教会が多く、日本の3大拠点(仙台・東京・京都)の1つであるため、ロシア人に親和性があるのかも知れない。
また、東北大学だけで留学生を1200人余り(留学生の家族を含まない数)を受け入れており、仙台の外国人登録数の10%以上を占めている(2005年)。東北大学は、主にアジアからの留学生受け入れに力を入れているが、「魯迅が留学していた大学」として江沢民・国家主席(1998年当時)が来訪するほど中国国内で有名であるため、中国からの留学生がとりわけ多く(466人)、次いで韓国からの留学生が多い(190人)。また、旧帝国大学のつながりから、台湾からの留学生も多い(45人)。欧米からの留学生は、アメリカ合衆国(24人)とスウェーデン(13人)が1位2位であるが、金属材料系で世界一の研究所である金属材料研究所や、流体科学研究所などの有力研究所・講座があるため、大学間交流は盛んである。
都市外交としては、東京都の世界大都市外交や「アジア大都市ネットワーク21」、福岡市のアジア重視政策が有名であるが、仙台市の場合は、人口約1000万人の東北地方、人口約570万人の南東北の拠点都市として、身の丈に合った北欧諸国との都市外交を進めている(北欧諸国:スウェーデン900万人、デンマーク540万人、フィンランド520万人、ノルウェー469万人など)。特にフィンランドとは、仙台市の仲介で東北福祉大学が福祉関連施設のフィンランド健康福祉センターを開設し、成果が出ている。しかし、研究開発・産業分野に限った都市外交であるため、経済全体に対するインパクトは弱く、観光面で人の交流の活発化を実現した東京や福岡のような例とはかけ離れて、小さい経済効果しか見込まれていない。
なお、北欧以外では、支倉常長関連で宮城県とローマ県やセビリア市、仙台市でサッカーイタリア代表がキャンプを開いたことにより、仙台市とイタリアの間で交流が深い。
国内・海外姉妹都市を各々締結順に掲載する。仙台市は、海外の姉妹都市と提携して、それぞれの都市を紹介するラッピングバスを運行している。
リバーサイド市(アメリカ合衆国カリフォルニア州リバーサイド郡の郡庁所在地。ロサンゼルス大都市圏内)
レンヌ市(フランス共和国ブルターニュ地域圏イル=エ=ヴィレーヌ県。ブルターニュ地域圏の首府であり、なおかつイル=エ=ヴィレーヌ県の県庁所在地)
仙台は、江戸時代に東北地方最大の都市にして、日本で十指に入る人口を抱える都市となっていたが、それは、伊達氏62万石の藩内経済を背景としたものであり、藩外との経済交流を考えれば、酒田などの港湾都市の方に資本集積があったと考えられている。
明治時代になると仙台は、明治政府の中央集権体制における東北地方の支配拠点とされ、栄えることとなった。戦後においては、特に1982年の東北新幹線開通後の発展や、1989年(平成元年)の政令指定都市化前後(地下鉄開業、バブル経済期)はめざましいものがあった。
主な産業は、東北全体を商圏とする「卸売業」、仙台都市圏を中心に南東北全体に商圏を広げつつある「小売業」、及び、「サービス業」が中核をなす。中でも、「卸売・小売業」は仙台市だけで東北六県全体の年間販売額の40%近くを占める。また、東北地方の情報集散地としての役割も担っているため、「出版・印刷業」や「IT関連業種」などの情報関連産業も多く立地している。
仙台市は、大企業の支店の存在に経済を支えられている側面が強く、また工業も発展していないため、経済関係者の間から「支店経済都市」「支社都市」と呼ばれている。このため、地場の産業を育成する事が課題となっている。
他の大都市同様、総生産額・従業者ともに全産業に占める第一次産業の割合は僅である(市内の農家数はおよそ5000戸)。しかし、米は仙台の主力農産物であり、かつ、ササニシキやひとめぼれなどのブランド米を産する土地柄、平野部の稲作地は都市化圧力から守られてきた。市内東部の平野や河川沿いの平地では土地改良事業が行われ、長方形型の大きな圃場が整備されて、大型農機による大規模稲作が行われている。これらの大規模圃場は、一部税金を用いて整備されているため、商業地や住宅地への転用が条例によって規制されている。
Google Mapsの衛星写真で見ると、仙台市東部と特に七北田川沿いの農地が開発規制されているのが分かり、他の大都市との農政の違いが分かる。即ち、他の大都市が、平地にあれば同心円状、谷あいにあれば平地のほとんどが都市化している一方、仙台都市圏は、幹線道路および在来線沿い以外は農地の開発規制がされている。
このように、河川沿いの平地や東部の広大な平野部は、農地指定が解除されない限り、商業地や住宅地等に利用できないため、人口増に対応する住宅供給は、専ら仙台市都心部を取り巻く丘陵地の宅地造成によりなされた。宅地造成は、都心部に近い北西部を中心に進んだが、それでも供給不足に陥ったため、仙台市民の隣接市町への転出を促し、名取市・富谷町・利府町などの人口増に寄与した。
仙台市当局は、政治的に平野部の農地を守ってきた。その政治判断により、平野部や河川沿いに水田が残り、夏には風の通り道になってヒートアイランド現象を軽減し、また、西部の山々とともに都心部を取り巻くグリーンベルトとして景観の保持にも寄与している。
ただ結果として、仙台市の農地政策は、「都心部以外は、平地は農地、丘陵地は住宅地」 という都市構造を助長した。そのため、住宅地が丘陵地ごとに島状分布し、都心と住宅地との間に坂道が多いため車社会を加速し、人口密度が低く、人口の割に職住が離れた非効率的都市圏を形成することになった。現在は、その非効率性はなくなっていないものの、農地指定の解除が徐々に進んで、「島」と「島」との間の平地が商業地や住宅地になりつつある。
ちなみに、現在の泉区の中心部(泉中央駅〜八乙女駅、市名坂)は、80年代に七北田川沿いの農地指定を一気に解除して水田の上に造られた計画都市であり、現在は仙台の副都心として発展している。
第二次世界大戦中の燃料不足のおりには、市内の中心部に近い八木山・大年寺山などで褐炭(低品位な石炭)の掘削が盛んに行われた。この際の坑道跡が現在も放置されたままであるため、地盤陥没や計画中の地下鉄東西線の工事費上昇が危惧されている。
仙台市の産業のうち、総生産額で8割、従業員数で7割を占める。業種別では「サービス業」の伸びが顕著である。
仙台市は、南東北における物販・サービス業などの中心地となっている。一番町と仙台駅周辺の2つの中心部商業地の大きな集客力と、郊外ロードサイドショップの密集により、仙台市の小売商圏は、仙台市周辺市町村の域を越えて、山形県村山地方、福島県中通り北部・浜通り北部、および岩手県北上川流域南部まで広がっている。
中心商業地以外では、仙台駅東口からクリネックススタジアム宮城に至る宮城野大通り周辺(宮城野区・若林区)に、90年代以降、IT関連産業のオフィスが集積してきており、「ITアベニュー」と呼ばれるようになった。この東口地区に東北楽天ゴールデンイーグルスのスタジアムが建設されたことで、集客マグネットとしての商業活性の役割が期待されている。
また、北の副都心である泉中央(泉区 : 泉中央駅〜八乙女駅)にも都市機能が集中し始めている。ここでは、ベガルタ仙台が集客マグネットの役割を果たしている。
なお、南の副都心として期待されている長町(太白区 : 長町一丁目駅〜長町南駅)は、旧国鉄貨物ヤード跡地の再開発をうけ、一躍注目地区となっている。また、プロバスケットボールチームの仙台89ERSが長町副都心に隣接する富沢駅前の仙台市体育館を本拠地としたことで、集客マグネットとしての役割が期待されている。男子VリーグのNECブルーロケッツと女子VリーグのNECレッドロケッツも、仙台市体育館で「ホームゲーム」を開催しているが、仙台に地域密着をしているというよりは興行的意味あいが強く、仙台に本拠地を置く他の3球団と比べてそれらの集客マグネットとしての力は未知数である。
やまや(酒類ディスカウント販売で国内最大手。酒類・輸入食品等販売業。本社機能を塩竈市から仙台市に移転。イオングループの一員)
ディアナサン(ダイヤモンド加工・販売業。無色透明なダイヤを、光のスペクトルをコントロールする数学理論と独自のカットとにより、有色ダイヤにする技術を持つ)
半田屋(セルフ方式の定食屋めしのはんだや、および、大衆食堂半田屋を全国展開。その他、きらら寿司2店舗、びっくりドンキー4店舗を経営)
万代(エンターティメントリサイクルショップ。全国展開する万代、マンガ倉庫グループの元祖。多賀城市、古川市、札幌市に直営店を展開する。)
NHKを含めたテレビ局として5局が、AM放送局として2局がある。テレビ東京系の局は無く、テレビ東京系で制作された番組は番販形式で在仙の民放4局で放送されている。しかし、仙台で放送されるテレビ東京の番組は、人気バラエティ番組はよく放送されるが、ドキュメンタリー番組は現在「日経スペシャル ガイアの夜明け」(東北放送)のみの放送になっている。アニメに関しては、東日本放送が月曜〜木曜の夕方4時台を中心に放送しているが、現在でもテレビ東京系列の番組が他局で同時間帯(東日本放送と東北放送の週末朝など)に放送され、視聴率を食い合う形になることもある。そのため、新局を設置して欲しいという要望があり、2007年5月30日にテレビ東京の菅谷定彦社長(現:会長)が地上波デジタル放送統一に合わせての新局および既存局放送対象地域拡大計画の中に『宮城県内にも将来系列局を新設する方向で検討中』と発表した(2000年には子会社のBSデジタル放送局・BSジャパンが開設されたが、当時の菅谷社長は新潟市以外の政令指定都市を持つ「都道府県」を視聴エリアに収めたいと言う構想を持っている事を明言している)。この計画には当然民放既存4局の反発も予想されるが、現在の在仙民放局は、視聴者の希望に反して深夜ばかりか日中にも録画の通販番組を流すなど、他の地方との情報格差を生じさしめている。独占的放送権を与えられながら他の中枢都市と比べて、市民文化の発展に寄与していない為、クリエーティブクラスの東京流出の大きな要因となっている。テレビ東京系列の開局によるショックを期待する声は大きい。
また、東北限定のローカルネットワーク局も存在しない(ブロックネットする番組は多い)。ちなみに、関東圏では放送されない関西ローカルの番組(「たかじんのそこまで言って委員会」など)が幾つか放送されることがある。そのため、「探偵ナイトスクープ」のような関西ローカル番組において宮城県在住者の「視聴者からの手紙」が度々採用される現象も起こる。また、名古屋テレビ・九州朝日放送では、朝の全国ネット向け情報番組を飛び降り放送して、ローカル枠を放送している。その中で東北放送は朝に「ウォッチン!みやぎ」を「みのもんた朝ズバッ!」の放送内で放送している。「朝ズバッ!」の飛び乗り局(青森テレビ・宮崎放送など)は数局あるが、同番組の一時飛び降り局(ED(8:29)の1分間は放送されるため、完全な飛び降りではない。また、山陰放送・宮崎放送は8:27で放送終了するため、飛び降り放送になる)は現在宮城県のみである。
ケーブルテレビは以下の2局がある。技術上テレビ東京の親局・中継局ともに他の局とチャンネルが被っており、仙台市周辺での受信は極めて困難であることから、いずれもテレビ東京系の再送信は行われていない。
宮城県で唯一、夕刊を発行している(読売新聞などの全国紙の夕刊は県内では発行されていない)。全国紙、中日新聞、西日本新聞に次ぐ広域販路を持つブロック紙)。
明治維新以来、東北地方は「白河以北一山百文」(東北地方の土地は価値が低く山1つを百文で買える)と軽視されていた。「河北新報」の社名は「東北振興」と「不羈独立」を社是として付けられた歴史がある。
現在の青葉通りの東端に仙台駅が設置(1887年)され、芭蕉の辻(江戸時代の仙台の中心商業地。国分町通り=奥州街道、および大町=仙台城大手門前から続く道の交差点)に日本銀行仙台支店が設立(1941年)されたことにより、この2点の間の地域に金融機関が集中した。現在の仙台市の金融街は、青葉通り沿いの仙台駅西口前から晩翠通り辺り(東西軸)までを中心とし、途中交差する国分町通り沿い(南北軸)にも立地している。
仙台の中心商業地(→仙台市中心部)には、一番町と仙台駅西口一帯の2つの極があるが、従来から、一番町は地元商店が強く、駅前は県外資本(主に東京)が強い。金融街の構成にも似た傾向があり、青葉通り沿いの仙台駅前から東二番丁通り交差点までの部分に都市銀行や有力地方銀行の本支店が集中立地し、それより西の一番町に近い青葉通り沿いに他の地銀や第二地銀の本支店が集中立地している。このように、小売と金融がリンクして立地の違いをみせるため、おおまかに言って、一番町が東北地方の経済を反映し、仙台駅前が日本全体の経済を反映した動きをするのが仙台の特徴となっている。なお、企業よりも個人資産をターゲットとする県外銀行は、中心部アーケード街に支店を設置している。
近年、仙台でも消費者金融や個人ローンが盛んになってきている。勢力としては、消費者金融全国チェーン、宮城県内の金融機関の他、特に山形県の2大地銀、盛岡の地銀・第二地銀の仙台市場参入が著しい。それぞれがテレビCMをうって競争している。
仙台市には2006年2月27日にローソン(ローソンATM)、2006年3月1日にセブンイレブンとイトーヨーカドー仙台泉店(セブン銀行)、2006年3月20日にファミリーマートとミニストップ(イーネット)、のように、市内のコンビニでコンビニATMが設置されている。仙台市へのコンビニATMにより政令指定都市全てにコンビニATMが導入されることとなった。 仙台市は地方中枢都市なので、本来ならば他の政令指定都市が相次いで導入した2〜3年前に設置されてもおかしくないはずであったが、隣県の山形県、福島県が導入した後も導入を見送った。これは、七十七銀行と仙台銀行の方針により、「自社の支店でまかなう」としていたからである(郵便貯金のコンビニ内設置ATMは2005年から仙台駅東口に1軒設置されている)。しかし、商業界や若者の利用者からの強い要望により、七十七銀行がセブン銀行(当時:アイワイバンク銀行)との提携に同意し、現在に至る。
なお、七十七銀行が指定金融機関と公営企業出納取扱金融機関、仙台銀行・仙台農業協同組合が指定代理金融機関となっている。
仙台市内第1店舗目は、ほぼ上述の金融街に設置されている。2店舗目以降は、卸売り・流通企業が集中している卸町やその周辺の商業地を含めた宮城野地区(卸町、宮城野、原町、南小泉など)、県庁・市役所・国の出先機関などが集中する官庁街の二日町地区、仙台の副都心である泉中央や長町(富沢・泉崎)、その他、各金融機関の顧客層に合わせて、下町や郊外住宅地に店舗展開している。以下、支店店舗数と本社所在地を付記する。有人出張所は+で付記する。
仙台は、高等教育機関に通う学生を85,000人以上抱えており、人口に対する学生比率が、政令市等の中では京都市、福岡市、東京23区に次いで4番目に高く、仙台市の行政や地元マスメディアは「学都仙台」を自称している。また、人口に対する大学院生比率も京都市に次いで2番目に高い上、高等教育機関の教員も4,000人近く住んでおり、日本の学術を支える重要な都市の1つとなっている。しかし、東北大学においては、その入学者における地元占有率(東北大では東北地方出身者の割合)が、他の旧帝大のそれと比べて低く、また、仙台市や東北地方にいい就職先が少ないため、卒業者のほとんどが他の地方に流出し、頭脳流出が激しい。また、工業基盤が薄い仙台市では、研究成果も他の地方に流出し、地場で産業化される例は極めて少ない。近年では、人材と研究成果の流出を抑えるため、産学官共同のベンチャーキャピタルが設立されたが、まだ大きなビジネスに育っていない。一方、東北学院大学や宮城学院女子大学に代表される県内私立大学の入学者のほとんどは、東北地方出身者であり卒業後も仙台での就職を希望するものも多く、幅広い分野で地域の産業を支えている。
仙台市内にはライブハウスやクラブが存在し、アマチュア・バンドやインディーズが活動している。仙台市に拠点を置いて活動する他地方出身のセミプロバンドもおり、全国版のヒットチャートと仙台のヒットチャートとの間に違いが生じるようになった。また、アマチュア演劇も行われており、多数のアマチュア劇団が存在して活動をしている。
仙台市は文化活動、文化事業を「楽都仙台」や「劇都仙台」と標榜してバックアップし、また一方で、地元マスメディアも地元の人材活用をするようになって、バンド・タレント・芸能人・モデルなどのローカルタレントが増加して、隣県のメディアに進出する者も表れた。そのため、小さいながらも仙台芸能界が形成されつつある。
クラシック音楽専用につくられた仙台市青年文化センター・コンサートホールを本拠とするプロのオーケストラ。本拠の他に、宮城県民会館やイズミティ21でも定期演奏会やコンサートを行っている。
最も有名かつ、観客者数の多い仙台を代表する祭りは、仙台七夕まつりである。七夕祭りは藩政時代以来の歴史を持つ祭りで、市中の商店が名誉をかけて華美を競い合い、全国でも類を見ない華麗な七夕祭りになったとされる。東北四大夏祭りの1つに数えられており、中心部商店街では、期間中200万人以上の人出がある。
以下、勾当台公園や一番町などが主会場のもの[2]を中心に記載(★:音楽中心。☆:音楽ステージも設けられるもの)。他に、自治体やプロスポーツのイベントなども行われる。
仙台市の文化機関・公共施設は、市が設置・運営しているものの他、市の外郭団体、民間が設立・運営(電力ホールなど)しているものがある。
仙台市博物館や仙台市天文台などの社会教育機関は、その社会教育活動や施設を維持するために有料であるが、2002年から仙台都市圏の小中学生を対象にして発行された「どこでもパスポート」を利用すると、土曜日、日曜日、休日、春休み、夏休み、秋休み、冬休みの期間は所持している小中学生に限り無料で利用することができる。
現在、新規に計画されている公共施設は、仙台駅東口にミュージカル(主に劇団四季)用劇場、西公園に能楽堂の計画がある。なお、長町副都心に音楽堂を設置する計画があったが現在は凍結されている。
仙台は三陸の魚介類は勿論、各種農作物、ブランド米「ひとめぼれ」「ササニシキ」、高級和牛牛肉「仙台牛」の産地に近く、海の幸・山の幸が集積する。近年は、仙台中央卸売市場が仙台経済圏に商圏広域化し、弱体化した周辺の卸売市場の機能を肩代わりしているため、食材の集散地としての機能拡充も進んでいる。
庶民的な料理店の特色として、仙台発祥の牛タン料理の店が多いほか、安い定食屋の半田屋の根強い人気が上げられる。また、仙台ラーメンを供する店もある。なお、仙台駅は駅弁の種類が日本で最も多い駅である(→仙台駅#駅弁参照)。
『日本のウイスキーの父』と呼ばれる「竹鶴政孝」が創始したニッカウヰスキーは、国内に二箇所の蒸留所を持っているが、その内の一箇所が仙台市青葉区、広瀬川上流の新川(にっかわ)河畔にある「宮城峡蒸留所」である。「シングルカスク」と呼ばれる最高級ウイスキーのいくつかはここでしか入手できない。
仙台の秋の風物詩として、芋煮会がある。芋煮会は、河原などの野外において、家族や友人、学校や職場の仲間が集まって、大鍋に汁をつくって食べる季節行事である。この習慣がある地域では、花見と同じくらい重要な年中行事として扱われている。10月から11月にかけて行われる。
仙台の芋煮は、里芋と豚肉を主な具として味噌で味付けする、いわゆる豚汁タイプが一般的であるが、魚やジャガイモをいれるものもある。また、参加する人数が多くなると、仙台風の芋煮の他に、牛肉・醤油味の山形風芋煮、キムチチゲ(鍋)、バーベキューや鉄板焼きなどを加えて作ることもある。芋煮のための大鍋は、スーパーやコンビニエンスストアで借りることが出来、薪も買える。シーズン中は、材料の下ごしらえがされた芋煮セットがスーパーや大学生協などで売られているので、忙しい人たちも簡単に芋煮会をすることが出来る。また、仙台近郊のキャンプ場では、全ての材料・鍋・薪が準備されていて、あとは火をおこして煮るだけの芋煮会パックというサービスもある。
坂庭清一郎が仙台市で、「伊達家の桜」とも言われ、仙台周辺に多いヤエベニシダレ(八重紅枝垂)と、ソメイヨシノ(染井吉野)とを交配して作った桜の一品種。八重咲き。→榴岡公園
ロシア人のカール・ヨハン・マキシモウィッチ博士によって命名された。紀伊半島、四国、九州に自生し、仙台市には自生しない。
石田名香雄(元東北大学総長)らにより東北大学医学部で発見された。細胞融合を起こすウィルスとしてバイオテクノロジーの分野で重要視されている。最近は、遺伝子治療において、導入する遺伝子を目標組織の細胞に運ぶベクターとして有望視されている。
明確に仙台を舞台としていないが、情景描写として東北大学薬学部や医学部、およびその周辺などが用いられている。映画版では仙台を舞台としていない。著者は、執筆当時に東北大学大学院薬学研究科博士課程に在籍していた。
作中では架空の町「M県S市杜王町」との表記。「杜の都」をもじったものと「蔵王町」を組み合わせた名前と思われる。作中には勾当台や牛タンといった地名や名物、さらには仙台に実在する店や市外局番までが登場する。(ただし杜王町の人口の数と地形(地図)に関しては岩手県宮古市をモデルにしているという説がある。)
中学校編までは東京、中学卒業後からは仙台を舞台にしている。本作では仙台城址青葉山公園や隅櫓が忠実に描かれ、作中の青葉高校は仙台二高をモデルにしている(正門の風景・弓道場は仙台二高のそれとほぼ同一である。作中の青葉高校は男女共学・制服制であるが、仙台ニ高は私服校であり、作画時点では男子高であった)。
方言としては仙台弁があるが、一般には共通語・標準語に近い言葉が使用される。高齢者や東北地方各地出身者の会話には、訛りがあることも多い。
仙台空港は、仙台市に隣接する名取市とその隣の岩沼市に跨って位置する。滑走路は3000m。札幌(新千歳)、函館、成田、名古屋(中部)、小松、大阪(伊丹)、神戸、広島、福岡、那覇へ向かう国内定期路線(ただし、函館便は不定期)と、ソウル、長春、広州、大連、北京、上海、香港、グアム、台北へ向かう国際定期路線が運行されている。セスナおよびヘリコプターによる遊覧飛行(仙台上空・松島上空など)の離着陸地としても利用されている。仙台駅までは、空港直結の仙台空港駅から仙台空港アクセス線(仙台空港鉄道仙台空港線)で約20分。また、愛子観光バスと東日本急行が運行するバスでおよそ40分。
仙台駅を中心に路線が放射状に存在する。旅客輸送については、東日本旅客鉄道(JR東日本)と仙台市交通局(仙台市地下鉄)の2事業者があり、私鉄は存在しない。以前は宮城電気鉄道、仙台鉄道、秋保電気鉄道といった私鉄の路線も存在したが、宮城電気鉄道は戦時買収により国鉄(現JR)仙石線となり、後2社の路線は廃止された。また、日本貨物鉄道(JR貨物)と仙台臨海鉄道の2事業者が貨物輸送を行っている。各線の詳細はそれぞれの路線の項目を参照。
東北新幹線の全列車が停車する。上りは朝夕が9〜15分おき、日中は約20分おき。下りは速達型のはやて・こまち、各駅停車のやまびこが日中それぞれ1時間おきの運行頻度となっている。東京駅〜仙台駅は最速で1時間36分。
常磐線の列車は岩沼駅から東北本線経由で仙台駅まで直通する。毎時1〜2本の運行である。特急スーパーひたちが1日4往復運行されている。仙台駅に乗り入れる唯一の定期の在来線昼行特急列車である。
仙台駅と仙台空港駅を結ぶ鉄道路線の愛称。仙台空港線の列車が名取駅から東北本線経由で仙台駅まで直通する。毎時2〜3本程度の運行。
仙台駅〜名取駅間は、上記3つの路線が利用可能なため、この区間内の運転頻度は仙台地区で最大規模である。
愛子まではラッシュ時15分おき、日中は20〜40分おきに運行されている。愛子から先は普通列車・快速列車合わせて1時間おきの運行で、日中は快速列車中心の運行形態となっている。沿線の人口増加によって利用者も増加しているが、単線であることから輸送容量は限界に達しており、列車の増発は困難となっている。
仙台市内の他のJR線に比して駅間距離が短く列車の運転も多い。国鉄時代には地元住民から「国電」と呼ばれ、当時から通勤路線として高頻度の運転がされていた。首都圏などと同様4ドアの通勤形車両が走り、朝夕の混雑は激しい。ラッシュ時は4分おき、日中は7分〜14分おき(あおば通・仙台口にて。快速を含む)の運行である。市街地付近は地下化され仙台駅の西のあおば通駅まで路線が延伸された。
ラッシュ時3〜5分おき、日中7分おきの運行であり、仙台圏のなかでは最も高頻度の運行を行っている。すべて普通列車である。泉区への唯一の軌道系公共交通である。仙台駅から長町駅の区間はJR東北本線と併走し、実質的にその緩行線のような機能を担っている。これは東北本線が長距離列車主流であった時代に、市内交通を担っていた仙台市電の代替として計画された経緯による。
八木山動物公園、八木山ベニーランドを有する八木山地区と現在宅地開発が進む荒井地区を結ぶ仙台市第2の地下鉄路線となる。車両は鉄輪式リニアモーターカーが採用される予定。車両規格の違いからJR在来線・地下鉄南北線との直通運転は不可能。
貨物専用の路線。鉄道貨物のターミナル宮城野駅はこの貨物線上に位置する。同線を宮城野駅共々旅客化する構想が一部で持ち上がっているが、現在のところ、旅客化に向けての具体的な動きは無い。
太平洋フェリー運航のフェリーが就航している。名古屋航路と苫小牧航路がある。苫小牧航路は原則として毎日就航しているが、名古屋航路は隔日就航。仙台駅と仙台港は路線バスでおよそ40分。
バス路線は、仙台駅に向かう系統が最も多く、次いで仙台市地下鉄南北線の乗継指定駅に向かう系統が多い。近年は、在来線の駅前にロータリーを新設して、在来線との乗り換えを進める傾向もある。仙台市内を走るバスとして、以下のバス事業者がある。
仙台市交通局(仙台市営バス)…主に青葉区・宮城野区・若林区が中心。仙台空港へのアクセスの主流となっていたリムジンバスも交通局の運営であったが、仙台空港アクセス線開通に伴い、2007年3月17日で廃止。翌日からは、愛子観光バスと東日本急行がリムジンバスの運行を開始したが、愛子観光バスは2008年2月29日に撤退し、現在は東日本急行のみの運行となっている。
いずれも後乗り前降り後払い方式、整理券による区間料金制を採っている。仙台市交通局と宮城交通において、後述の共通バスカード、ジョイカード(磁気式乗車カード)で乗車する場合は、乗車時にカードをカードリーダーに通し、降車時に運賃箱に併設されたカードリーダーにカードを通して精算する。
仙台市交通局と宮城交通では、バスロケーションシステム(どこバス 仙台)が導入され、バスカードも共通である。共通バスカードは、そのプレミア率の高さから利用者が多い(5000円→5850円)。企業によっては定期券ではなく、バスカードにより通勤手当を算出するところも多い。なお、このバスカードは市営地下鉄の乗車には使えない。地下鉄と共通で使えるものとして、ジョイカード(5000円→5500円)がある。
また、特定駅でのバス・地下鉄の相互乗換の場合、乗継割引としてバス(地下鉄)の運賃が40円引かれる制度が存在するが、現金もしくはスキップカード(プレミアなし)のみが対象であり、上記のカードは使用することが出来ない。しかし、計算上は上記のバスカード・ジョイカードを組み合わせて使用する方が割引率が高いため、乗継割引制度は実質上、形骸化しているに等しい。
山形行、福島行の便は1時間に3本以上あり、料金も割安で特に便利である。山形行きのバスは、山形自動車道開通前から一般道経由の特急バスとして運行していたため、「高速バス」ではなく、現在も「特急バス」として運行されている。詳しくは特急バス仙台山形線を参照。
東北自動車道と仙台南部道路は、仙台南ICで接続している。現在は仙台南ICの旧料金所の廃止によってJCT化された。東北道⇔仙台南部道路との連絡に関しては実質的には「仙台南JCT」として機能している。また、三陸自動車道、仙台東部道路、仙台北部道路方面とは、仙台南部道路を経由することによって連結している。
仙台市の中心市街地は、一部地域を除き、ほぼ碁盤の目のように道路が整備されているが、そのほとんどの道路に道路愛称および歴史的な通称が一般的に使われている。各々の項目参照。
仙台市は歴史的町名等活用推進事業を行っており、その一環として歴史的町名を書いた辻標や通り看板を立てている。
北一番丁通り、北二番丁通り、北三番丁通り、北四番丁通り、北五番丁通り、北六番丁通り、北七番丁通り、北八番丁通り、中杉山通、元柳町通り、姉歯横丁、北材木町通り、長刀丁通り、石切町通り、北山町通り、南光院丁通り、柳町通、江戸町通り、狐小路、新坂通 、大町通り、教楽院丁通り、二本杉通、連坊小路、小田原車通 、外記丁通、小田原金剛院丁通り、光禅寺通、支倉通、小田原大行院丁通り、勾当台通り、八幡町通り、小田原長丁通、米ヶ袋鹿子清水通、半子町通り、小田原広丁通り、米ヶ袋十二軒丁通り、東一番丁通り、東二番丁通り、東三番丁通り、東四番丁通り、東五番丁通り、東六番丁通り、東七番丁通り、東八番丁通り、東九番丁通り、小田原山本丁通り、米ヶ袋中坂通、大仏前通り、表小路、肴町通り、猿曳丁通り、花京院通、新伝馬町通り、覚性院丁通り、杉山通、鍛冶屋前丁通り、片平丁通り、田町通り、空堀丁通り、滝前丁通り、南六軒丁通り、北五十人町通り、土樋通り、宮町通り、堤通、神子町通り、角五郎丁通り、茂市ヶ坂、同心町通、本荒町通り、土橋通、元鍛冶丁通り、本材木町通り、名掛丁通り、元寺小路、中島丁通り、本櫓丁通り
「杜の都」と呼ばれる仙台には、名所や旧跡、景勝地がある。また海の幸・山の幸に恵まれており、美味しい料理を味わうことが出来る。市内観光には市交通局が運行する、市内周遊観光バス「るーぷる仙台」が便利である。市街地から車で30分もあれば、郊外へ出ることが出来る。秋保温泉・作並温泉は「仙台の奥座敷」と呼ばれ、江戸時代からの名湯である。松島にも近いため、観光ツアーや旅行ガイドブックでは「仙台・松島」と一緒に組まれる事が多い。福の神仙台四郎グッズを扱う店は、一番町や中央通り商店街、仙台駅地下などにある。
仙台城址の整備は長らく市民の悲願であり、現在は石垣の整備および、三の丸跡から本丸跡への観光ルートの整備が行われている。2006年3月に、本丸に小規模なガイダンス施設「仙台城見聞館」がオープンした。仙台城の大手門を復元しようという計画もある。現在の仙台城本丸は、眺めはよいものの、石垣と伊達政宗銅像があるのみである。天守閣はもともとない。大手門の位置にあった大手門脇櫓(わきやぐら)が復元されており、これのみが城らしい建物である。脇櫓は市民の間では隅櫓(すみやぐら)と呼ばれ、これと大橋が現在の仙台城のシンボルである。脇櫓の向かいに林子平の銅像と阿部次郎記念散歩道の案内がある(外部リンク「歴史と文化の散歩道」参照)。隅櫓近くの、東北大学川内記念講堂周辺の散歩道は快適である。東北大学植物園内にも遊歩道や遺跡がある。
三角あぶらげが名物。「じょうぎ」と読むのが正式とされるが、仙台弁ではイとエが曖昧なので、「じょうげ」と読む人が多い。通称:「定義山」。
仙台市では都市の緑化と緑地公園・森林公園に力を入れている。平成11年には、市民・事業者・行政の協働による今後の緑づくりの具体的施策を定めた「百年の杜づくり行動計画」を策定し、市街地の「緑の回廊づくり」、誕生、結婚、新築など人生の節目を記念する植樹などによって1年1万本を目標に市民による植樹を進める「市民による「100万本の森づくり」、「学校の森づくり」、「建築物の緑化助成」、小学生向け緑化啓発サイト「[キッズ百年の杜 http://www.kids-100forest.jp/]」などの施策を実施している。 都心部を囲む水田地帯、広瀬川の河川敷、小さな山などを含めてグリーンベルトと見なし、条例で開発を規制している。生垣にも助成金を出している。ブロック塀を減らすことで地震対策としている面もある。これは1978年の宮城県沖地震の際、ブロック塀が崩れ、その下敷きとなり多くの犠牲者を出した反省に基づいている。
勾当台公園、西公園、青葉山公園(仙台城二の丸)、榴ヶ岡公園、錦町公園、三神峰公園、七北田公園、勝山公園など
台原森林公園、水の森公園、太白山自然観察の森、青葉の森緑地、秋保大滝植物園、東北大学植物園、大年寺山公園・仙台市野草園、県民の森、泉ヶ岳など
仙台市出身の有名人、仙台市に縁のある著名人、ローカル・キャラ、主な芸能事務所などは、「仙台の著名人一覧」を参照
この項目「仙台市」は加筆依頼に出されており、内容をより充実させるために次の点に関する加筆が求められています。
宮城野区港5丁目(新日本石油の精油所や新仙台火力発電所などが当地にある。しかし、港1~4丁目とは川を挟んでおり、間に橋が架かっていないため、いったん多賀城市を経由しないといけないため、事実上飛び地となっている)
かつては、宮城県内の自動車ナンバープレートの地名表示は「宮城」のみであったが、いわゆるご当地ナンバー制度により、2006年10月10日から「仙台」ナンバーが導入された。「仙台」ナンバーを取得できる車は、仙台市内に車庫登録をしている車となっている。
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